言葉の壁を越える~相手の情報を感性で捉えていことの重要性について
みなさん、こんにちは!JR渋谷駅徒歩5分「こりと痛みと不調の研究所」所長のケイです。
今回は「言葉の壁」と題して私の見解をお話ししたいと思います。
相手の情報をありのままに捉えるという師匠からの教え
師匠からよく「言葉で考えるな」と言われました。言葉は相手の情報を聞き出すことには欠かせないツールであると認識しており、お互いの意思疎通に必要な手段として当然使用しています。クライアントの悩みを聞き出し、その問題解決の方法を言葉で考える。これは至極当たり前のことです。
しかし、師匠からすると違うのです。違うと言うかその先があるという表現が適切なのかもしれません。例えば「痛い」という言葉一つにしても、私が考える「痛い」と相手が考える「痛い」は質や強さが異なる可能性があります。相手は“刺すような痛み”を伝えてきているのに、受けては”ヒリヒリした痛み”と捉えてしまう。その痛みを知るために質問を重ねて擦り合わせていくのですが、”刺す痛み”という言葉上の解釈は一致できたとしても、同じ感覚で相互認識できているかというとそうではない。これはその人が経験してきた内容と、それを言語化する際の言葉の選択に依るところが大きいです。
相手の情報をありのままに捉える術があってこそ本当の「痛い」に辿り着けるのです。そう考えると言葉として理解すると誤差が生じてしまい、その痛みを取り除く時に誤差分の痛みが残るのではないか?と考えます。相手の痛みと寸分違わず理解するには言葉ではなく感性で捉えていく。言葉という障壁を越えた感覚の世界で相手を感じ理解する。それを師匠は「言葉で考えるな」と言っていたのではないかと思うのです。
多くの方の体の問題を解決するために心身の修練が必要
この領域に入ると、外国人や乳幼児の施術に多いに役立ちます。全ての国の言語をネイティブスピーカーのように習得していれば別の話ですが、自分が理解し得る単語ひとつとっても、その背景や文化に違いがあり、真の意味で相手の表現を理解し得るのは困難です。ネイティブスピーカーのクライアントもいるのですが、拙い英語では意思疎通の割合も低く、言葉の選び方によっては誤解を招きます。
相手の痛みをそのまま感じ取れる感覚が備わっていれば、言葉によるアプローチは必要なくなります。我が師匠は、世界中の人々を治してきました。彼は日本語しか話しません。それでも施術後には問題が解決されており、感謝の言葉を頂くのです。
言葉の壁を越えて感覚で相手を理解する。未だに100%理解できているわけではありませんが、ほのかにその感覚を捉える頻度が上がってきたように思えます。その領域に入るにはまだまだ心身の修練が必要です。
多くの方の体の問題を解決し、健やかで幸せな人生を歩んで欲しい、その一心で日々取り組んでいます。課題がある、目標がある。年齢に関係なくひたすら追い求める気概を持ち続けて前進あるのみです。